微胞子虫角結膜炎(マイクロスポリジア角結膜炎)

― 本症の全体像と、気候変動下における発生予測 ―

サマリー

微胞子虫角結膜炎(MKC)は、かつてAIDS患者を中心とする希少な日和見感染症とされたが、近年は健常者—とくに屋外スポーツ選手—の角結膜炎として世界的に増加している。その発生は高温・多雨・豪雨という気候・気象条件に強く規定されることが分かってきており、本症は気候変動下で監視すべき「気候感受性感染症」として捉え直されつつある。

  • 疾患レビュー(第I部):病原体は真菌に近縁な芽胞形成微生物で、眼感染の主因は Vittaforma corneaeなど。土壌・水を介して伝播し、培養陰性で通常治療に反応しにくいため、アデノウイルス角結膜炎などとの誤診・見落としが起こりやすい。
  • 本邦の実態と国内予測(第II部):長崎の2回のアウトブレイク(2022・2023年、健常アスリート計16名)で、患者角膜と競技場の土壌から同一の V. corneae を分子学的に検出し、環境リザーバー(土壌・水)とヒト感染を直接結ぶ証拠となった。気象庁データに基づけば、高温化と豪雨の激化により、発生の適地は国内で九州から関東・東北・北海道へと拡大すると見込まれる。
  • 世界における発生予測(第III部):同じ気象的閾値とIPCC AR6のデータを手がかりに世界の発生適地を見通すと、南・東南アジアのモンスーン圏や熱帯オセアニアは既に高リスクであり、気候変動により熱帯・亜熱帯から温帯へと発生が拡大すると見込まれる。
発生の気象的閾値 月平均気温 ≥ 23℃ + 相対湿度 ≥ 70% + 月降水量 ≥ 200 mm この三条件を満たす月の数週間〜数か月後にアウトブレイクが生じやすい(時間差あり)。長崎の研究に由来し、本報告書全体の発生予測の基準として用いる。
第 I 部
疾患レビュー
微胞子虫角結膜炎の病原体・疫学・臨床像・診断・治療

I-1. はじめに

角結膜炎の鑑別診断ではウイルス性(とくにアデノウイルス)や細菌性の頻度が高い一方、見落とされやすい原因として微胞子虫感染が近年注目されている。本症はかつて希少な日和見感染症と位置づけられていたが、検査技術の進歩と臨床的認識の高まりに伴い、免疫が正常な人々における角結膜炎の原因としての報告が著増している。とくに、発症が雨季・豪雨と関連することが指摘され、地球温暖化に伴う降雨・洪水・高温多湿の増加が本症の発生頻度や地理的分布に影響しうるとの懸念が示されている。第I部では、本症の病原体生物学・疫学・臨床像・診断・治療を整理する。

I-2. 微胞子虫(Microsporidia)の生物学的背景

2.1 分類学的位置づけ

微胞子虫は、偏性細胞内寄生性かつ芽胞(spore)を形成する単細胞性の微生物である。歴史的には原虫に分類されていたが、ゲノム解析などの分子生物学的知見により、現在では真菌(菌界)に近縁な生物として再分類されている。記載されている属は200を超え、種数は文献により1,500〜1,700種以上にのぼるとされ、このうちヒトに感染するのは約17種である[1, 2]

2.2 芽胞の構造と感染機序

感染性を担う芽胞は厚い殻に包まれ、内部に「極管(polar tube/極糸)」と感染性の原形質(sporoplasm)を内包する。芽胞が宿主細胞に接すると極管が瞬時に射出されて細胞内に突き刺さり、原形質が注入される。細胞内では分裂増殖期(merogony)を経て芽胞形成期(sporogony)に進み、成熟芽胞が形成される。宿主の体外で生存できるのは芽胞の段階のみであり、この環境抵抗性が土壌や水を介した伝播を可能にしている[1, 2]

2.3 眼感染に関与する主な種

表層型の角結膜炎では Vittaforma corneae が最も高頻度であり、難治性の角膜実質炎では Encephalitozoon 属が関与することが多い。V. corneae の芽胞は小型(長径約3〜5µm)で眼組織への親和性が高く、水関連のアウトブレイクで繰り返し同定される。ヒトは V. corneae の自然宿主ではないと考えられ、淡水などの水環境が伝播・存続に重要な役割を果たすとされる。極管のコイル数は種同定の手掛かりとなり、V. corneae は11〜13回、Encephalitozoon 属は4〜7回(芽胞約2〜3µm、寄生胞を形成)とされる[2, 3]

表1.眼感染に関与する主な微胞子虫
種・属主な眼病型芽胞径の目安特徴・備考
Vittaforma corneae表層角結膜炎(最多)/角膜実質炎約3〜5 µm極管コイル11〜13回。水関連アウトブレイクの主因。眼組織への親和性が高い。
Encephalitozoon hellem角結膜炎/播種性感染約2〜3 µm極管コイル4〜7回。寄生胞を形成。全身播種をきたしうる。
Encephalitozoon cuniculi / intestinalis角結膜炎/播種性・腸管感染約2〜3 µm全身感染(腸管・腎・呼吸器)と関連して報告される。
Nosema ocularum / Anncaliia(旧Brachiola)角膜実質炎約3〜5 µm外傷後の深部感染として報告。免疫正常者にも生じる。
Trachipleistophora hominis角膜炎/筋炎・播種性重度免疫不全で播種性感染を呈することがある。
Microsporidium ceylonensis / africanum深部角膜潰瘍初期の眼科記載に登場した種。深在性病変と関連。

I-3. 歴史的経緯と疾患概念の確立

眼部の微胞子虫感染が初めて報告されたのは1973年で、Ashton と Wirasinha がスリランカの小児における角膜の微胞子虫症を報告したのが最初とされる[4]。疾患概念が大きく動いたのは1990年で、Lowder らがAIDS患者において両眼性の表層上皮性角膜炎として本症を報告し[5]、これが今日のMKCの最初の記述の一つとされる。当時の感染性角膜炎全体に占める割合は約0.4%で、稀少疾患とみなされていた。1997年に Silverstein らがHIV非感染者の症例を[6]、2001年に Theng らが健常なコンタクトレンズ装用者の症例を[7]、2003年に Chan らが健常者の症例集積を報告し[8]、2000年代以降は臨床像・診断・経過への理解が進み、アデノウイルス角結膜炎や Thygeson 表層点状角膜炎との鑑別が可能になったことで、免疫正常者における報告が世界的に増加した。すなわち本症の「報告の増加」は、真の発生増加のみならず認識と診断能力の向上を強く反映している。

I-4. 疫学

4.1 地理的分布

報告の多くはアジアおよび熱帯・亜熱帯地域に集中している。シンガポール・インド・台湾を中心に症例集積が蓄積され、近年はオーストラリア、イスラエル、そして本邦からもアウトブレイクが報告されている。

4.2 リスク因子

各報告を通じて繰り返し指摘されるリスク因子として、土壌・泥・汚染水への眼の曝露、屋外スポーツ活動、コンタクトレンズの装用、眼外傷、眼科手術歴、ステロイド点眼の使用、温泉や水泳プールの利用、動物(とくに鳥類)との接触、そして免疫不全(HIV/AIDS、低CD4状態)が挙げられる。軽微な外傷により、芽胞を含む土壌や泥水が角膜上皮へ直接注入される機序が想定されている。

4.3 代表的な症例集積と集団発生(アウトブレイク)

大規模な症例集積としては、シンガポールの Loh ら(2009年)の124例があり[9]、約半数(62例)で屋外活動に伴う土壌・泥への曝露が、とくに降雨後に認められた。南インドの Joseph ら(2006年)では、感染性角膜炎4,822例のうち19例(0.4%)が確認され、全例が健常者であった[10]。集団発生としては、2012年シンガポールの国際ラグビー大会後のアウトブレイク(Tan ら、確定6・疑い47、複数国に波及、土壌・土壌水から V. corneae 検出)[11]、台湾の温泉関連(2011年、Fan ら、9例)[12]および水泳プール関連(2017年、Wang ら、13名15眼)[13]が代表的である。また、イスラエルでは屋外で活動する集団を中心に、複数年にわたるアウトブレイクが報告されている[14]

4.4 動物(鳥類)を介した感染と近年の中国からの報告

近年は中国からの症例報告も増えている。南京の4例の症例集積(Zhang ら、2023–2024年)では3例が鳥類に関連する Encephalitozoon hellem によるもので、うち1例はオウムを飼育し、その下痢の後に発症したことから、ペットの鳥からの感染(人獣共通感染)が示唆された[15]。オルソケラトロジー(角膜矯正用)レンズ装用者に生じた両眼性MKCの報告でも、患者は最近ペットのオウムを飼い始めており、同様に鳥からの感染が示唆されている[16]。E. hellem はもともと鳥類(とくにオウム類)を宿主とすることが知られており、水・土壌に加えて動物(鳥類)との接触も感染源となりうることを示唆している。

I-5. 臨床像

眼の微胞子虫症は、表層の角結膜炎(MKC)や結膜炎から、深部の角膜実質炎(MSK)、さらにまれに眼内への波及(ぶどう膜炎・眼内炎)に至るまで、多様な病型を呈する。

5.1 表層型:微胞子虫角結膜炎(MKC)

多発性・粗大・隆起性で円〜楕円形の灰白色の、フルオレセインで染色される点状角膜上皮病変が特徴で、治癒過程で貨幣状(nummular)の瘢痕様混濁を経て消退する。結膜には非化膿性で軽度〜中等度の炎症がみられ、乳頭・濾胞反応が混在する。免疫正常者では片眼性のことが多い。症状は充血、異物感、羞明、流涙、眼脂、視力低下など。潜伏期は曝露から概ね1〜30日と幅広い。アデノウイルス角結膜炎や Thygeson 表層点状角膜炎と類似し、しばしば誤診される。また、一部の症例では角膜前部実質への浸潤(実質炎)を伴うことがあり[15]、角膜後面沈着物(KP)で示される前房炎症を認めることもある[17]

5.2 深部型:微胞子虫角膜実質炎(MSK)

免疫抑制状態の角膜に生じるという報告も多く、外傷歴を有することが多い。培養陰性で通常の抗菌薬治療に反応しない難治性角膜炎として遷延し、しばしば角膜移植を要する。組織学的には角膜実質のケラトサイトや組織球の内部に菌体が認められ、好中球主体の炎症と実質壊死を伴う[3]

5.3 微胞子虫結膜炎

汚染源への両眼曝露後に、片眼はMKCを呈する一方、もう片眼では角膜炎を伴わず結膜充血のみを呈する症例が見られる。このことは、本症が角膜病変を来さず結膜炎のみにとどまる病型を呈しうる可能性を示唆する。

5.4 その他の眼微胞子虫症(ぶどう膜炎・眼内炎)

まれではあるが、微胞子虫は角結膜にとどまらず眼内へ波及し、ぶどう膜炎や眼内炎を来すことがある。免疫不全者では、Encephalitozoon cuniculi による眼内感染が虹彩病変(ぶどう膜炎)および眼内炎として報告されている[18]。また免疫正常者でも、微胞子虫角膜実質炎に続発して硝子体炎・網膜炎を伴う眼内炎(起因菌 Vittaforma corneae)を生じ、視力予後が不良であった例が報告されている[19]。これらは、深部・眼内へ進展する点で表層型MKCとは大きく異なる重篤な病型である。

I-6. 診断

微胞子虫角結膜炎は、問診と特徴的な角結膜所見で診断可能であるが、確定診断には角膜・結膜の擦過検体を採取し、各種染色や分子学的手法で芽胞を検出・同定することが必要である。

6.1 染色法と顕微鏡検査

変法トリクローム染色(Weber-Green法)は芽胞壁をピンク〜赤に染め、推奨される手法である。変法チール・ニールセン染色(抗酸菌染色)も有用だが、すべての種が抗酸性を示すわけではない。グラム染色、ギムザ染色のほか、KOH+カルコフルオールホワイトは芽胞壁のキチン質に蛍光色素が結合する原理で、蛍光顕微鏡下で高感度を示す[1, 3]

6.2 画像・分子診断

生体共焦点顕微鏡(IVCM)では二重壁の高反射芽胞が観察され、前眼部OCT(AS-OCT)では高反射の上皮病変が描出される。PCR(16S/18S rRNA)は約80%の感度で複数種を同定可能で、配列決定により種同定が行われる。近年はメタゲノム次世代シークエンス(mNGS)が難治例・非典型例で活用される。透過型電子顕微鏡(TEM)は極管コイル数から種同定が可能でゴールドスタンダードだが、日常診断には非実用的である。鑑別診断としてアデノウイルス、Thygeson、単純ヘルペス、アカントアメーバ、真菌性角膜炎が挙げられる[3, 17]

表2.主な診断手法とその特徴
手法原理・所見特徴・位置づけ
変法トリクローム(Weber-Green)芽胞壁がピンク〜赤に染まる標準的・推奨される染色
変法チール・ニールセン(抗酸菌染色)抗酸性の楕円形小体感度は高いが全種が抗酸性ではない
グラム染色/ギムザ染色グラム陽性の楕円形小体ほか簡便・補助的(グラムは感度中等度)
KOH+カルコフルオールホワイトキチン質芽胞壁が蛍光を発する蛍光顕微鏡で高感度
生体共焦点顕微鏡(IVCM)/AS-OCT二重壁の高反射芽胞/高反射上皮病変非侵襲・早期/非典型例で有用
PCR(16S/18S rRNA)微胞子虫DNAの増幅・配列で種同定感度約80%・種同定が可能
メタゲノムNGS(mNGS)網羅的に病原体を検出・同定難治例・非典型例で有用
透過型電子顕微鏡(TEM)極管コイル数等の超微形態ゴールドスタンダードだが非実用的

I-7. 治療

本症の標準治療プロトコルは確立されておらず、明確なコンセンサスは得られていない。最大の論点は、本症(とくに免疫正常者のMKC)を「自然治癒する疾患」とみなすか「積極的に治療すべき疾患」とみなすかである。

7.1 自然治癒性をめぐる議論

Das らは0.02%ポリヘキサメチレンビグアナイド(PHMB)とプラセボを比較した二重盲検ランダム化比較試験(145例)で、PHMBがプラセボに対して有意な優越性を示さず、本症の自然治癒性を示唆した[20]。一方で、薬物治療にもかかわらず悪化し追加治療で改善した症例も報告され、自然治癒性については議論が続いている。

7.2 薬物治療と外科的処置

局所抗菌薬(フルオロキノロン)、局所抗真菌薬(ボリコナゾール、フルコナゾール、イトラコナゾール、ナタマイシン)、局所抗微胞子虫薬(フマギリン)、ビグアナイド・消毒薬(PHMB、クロルヘキシジン、プロパミジン=Brolene)などが用いられてきた。in vitro試験ではフマギリンとアルベンダゾールが優れた活性を示す[2, 3]。経口アルベンダゾール(400 mg/日)は免疫不全例・難治例で用いられ、上皮デブリードマンが菌量を減らし治癒を促進することがランダム化比較試験で示されている[21]。イスラエルの多年アウトブレイクでは、局所クロルヘキシジンが従来薬に代わる有効かつ安全な第一選択となりうると報告された[14]。また、タイの研究(117眼、うちPCR陽性96眼)では、局所モキシフロキサシン(±経口アルベンダゾール)に続き、上皮下浸潤(混濁)に対して局所ステロイドを併用することで約2週間で臨床的改善が得られ、角膜瘢痕を残さず良好な視力予後が得られたと報告されている[22]

7.3 免疫不全例・角膜実質炎への対応

免疫不全例では抗レトロウイルス療法(ART/HAART)による免疫再構築が基盤となる。難治性のMSKでは内科治療が奏効する例もあるが、多くは治療的角膜移植(全層角膜移植, PKP)を要する[3]

I-8. 予後と合併症

免疫正常者のMKCの予後は一般に良好で、多くは瘢痕を残さず治癒する。ただし一過性の視力低下や貨幣状の瘢痕様混濁を生じうる。遷延する瘢痕様混濁に対しては、感染が制御されたうえで、ステロイドの点眼治療が行われる場合もある[17, 22]。角膜実質炎(MSK)の予後はより不良で、角膜移植を要する例が少なくない[3]。本症の主たる問題は「治療困難」よりも「診断の遅れや誤診」にあるとも考えられ、適切な鑑別と検査が予後改善の鍵となる。

第 II 部
本邦の実態と国内予測
気候・気象因子と発症の関連、長崎における2回のアウトブレイク(分子・環境的証拠)、および気象庁データに基づく国内の将来発生リスク予測

II-1. 気候・気象因子と発症の関連

本症の発生は、高温多雨の気候・気象条件と強く関連することが、とくにインドからの研究によって定量的に示されてきた。Reddy ら(2011年)は「インドにおいて微胞子虫角膜炎は季節性感染症か」を検討し、30例中20例がモンスーン期(6〜9月)、6例が冬(10〜1月)、4例が夏(2〜5月)に発症し、モンスーン期は夏に比して有意に多かった(66.3%対13.3%、p=0.0004)と報告した[23]。発症がモンスーンに傾く背景として、降雨による水(溝水・滞留水)の汚染と、雨季の昆虫個体数増加が一因と推測されている。

Das と Basu(2021年)は、ハイデラバードの18万人超(2016〜2019年)を解析し、急性MKC 84例について、発症がモンスーン開始の6月から増加して9月にピークに達し、冬の到来とともに減少する明確な時間的傾向を示した。湿度・風速、そしてとりわけ降雨量の増加が年間を通じた有病割合の上昇に寄与する一方、地表オゾン濃度の上昇はむしろ感染に対して保護的に働くと報告した[24]。南インドの別の3年間コホート(2013〜2015年)でも、月平均有病割合0.05%で7〜10月にピーク(9月0.12%が最高)を示し、降雨量との相関はr²=0.87(P<0.0001)と非常に強く、湿度も強く相関した。総説(Sharma ら、2011年)でも、信頼できる有病率データは乏しいものの、雨季に有病率が高く、インドや類似気候の国で顕著と評価されている[3]

これらの知見から想定される機序は、(1) 降雨・洪水による溝水・滞留水・土壌の芽胞汚染、(2) 高湿度による環境中芽胞の生存延長、(3) 泥濘・汚染水との接触機会の増加と、軽微な外傷を介した角膜上皮への芽胞注入、(4) 雨季の昆虫個体数増加、である。すなわち「高温多雨そのもの」ではなく、多雨がもたらす水・土壌の汚染と曝露機会の増加が主たる経路と理解されている。

II-2. 本邦における報告

2.1 これまでの報告状況

本邦では従来、微胞子虫感染は稀で、免疫不全者のMSKが2014年[25]・2019年[26]に単発で報告されているが、表層型のMKCとしては2022年の症例集積が最初とされる。すなわち、健常者の集団発生はごく最近になって顕在化した現象である。

2.2 長崎における2回のアウトブレイク

Uematsu ら(2023年, BMC Infect Dis)は、同一サッカーチームの健常男性5名(28〜36歳)における2022年9月の集団発生を本邦初のアウトブレイクとして報告し、角膜擦過検体のPCRで Vittaforma corneae を同定した(シンガポールのアウトブレイク株と配列が一致)[27]

これを発展させ、Mohamed・Uematsu ら(2026年, Microorganisms 14(3):587)は、長崎で生じた2回のアウトブレイク(2022年・2023年)の計16名(健常男性、17〜36歳)について、臨床・分子・環境の各解析を統合した研究を報告した[28]。患者眼検体に加えて、関連する地域から土壌16検体・水11検体を採取し、これらを併せて解析した点が大きな特徴である。両アウトブレイクはいずれも夏季に発生し、その直前に大雨があって競技場が濡れていた。選手が訓練した土壌のPCRからは、角膜擦過と同一の V. corneae が検出され、環境リザーバー(土壌・水)とヒト感染とを結ぶ分子学的な直接的証拠が示された。患者は最良矯正視力の低下、充血、眼脂、疼痛、掻痒感、異物感を呈した。さらに本研究は、両アウトブレイクがいずれも「月平均気温23℃・相対湿度70%・月降水量200mmを満たす(または上回る)月」の後に発生しており、インドでのMKC発症[17]の気象条件[29]と同様であることを見いだした。

感染域の拡大と啓発について 本研究の著者らは、微胞子虫が従来「非流行地」とされてきた地域にも環境中に既に存在しうること、そして気候変動に伴う降雨・洪水の増加と高温多湿化が、環境中の微胞子虫の負荷を「感染が成立しうる水準」まで高め、その結果としてMKCのアウトブレイクの発生頻度と地理的拡大に影響しうることを指摘している。研究グループは、一般向けの理解と予防を促すため「wet field eye(濡れたグラウンドの眼の感染症)」という平易な呼称の活用も提案している。

2.3 関東におけるアウトブレイク

さらに2025年の角膜カンファランスでは、柿栖らが、関東において同一のスポーツチーム内で生じたMKCの集団発生(8例8眼、2024年7〜9月受診)を報告した[30]。7眼は結膜充血と角膜上皮内のびまん性・散在性の顆粒状浸潤を、1眼は多発性の実質浸潤を呈し、施行した角膜擦過検体のPCR 6例すべてで 微胞子虫の遺伝子が検出された。全例が角膜擦過とフルオロキノロン系抗菌点眼により4週以内に改善し、視力が2段階低下した例はなかった。土壌・水などの環境調査は報告されていないものの、長崎(九州)に続き関東でも健常アスリートの集団発生が生じた点で、本症の国内での地理的拡大を裏づける。

2.4 世界的な広がり

同様の傾向は世界的にも観察されている。イスラエルではガリラヤ湖周辺で2022〜2024年にかけて V. corneae による多年アウトブレイクが報告され[14]、2026年3月にはオーストラリア・ダーウィンでアスリート100名超が罹患するアウトブレイクが報告された(いずれも V. corneae)[31]。これらは、水・気候と関連した本症のアウトブレイクが、熱帯・亜熱帯から温帯まで地理的に広がりつつあることを示唆している。

II-3. 気候変動シナリオに基づく将来予測 ― 気象庁データによる解析

本症の発生は高温多雨・豪雨・泥濘化と強く関連する。気象庁および文部科学省の公表データ(「気候変動監視レポート」「日本の気候変動2025」)[32, 33]をもとに、日本の気候トレンドと、発生リスクが拡大しうる地域を検討する。

3.1 気象庁データにみる日本の気候トレンド(観測事実)

気温については、日本の年平均気温は長期的に100年あたり約1.4〜1.44℃の割合で上昇しており(2025年の基準値からの偏差は+1.23℃)、世界平均の上昇率を上回る。1990年代以降に高温の年が頻出し、観測史上の上位はここ十数年に集中している。猛暑日(最高35℃以上)や熱帯夜(最低25℃以上)の年間日数も増加し、熱帯夜は概ね100年あたり約18日のペースで増えている。日本近海の海面水温も100年あたり約1.33〜1.36℃と、世界平均の2倍を超える速さで上昇している[33]

降水については、年降水量自体に明瞭な長期変化傾向は認められないものの、「降り方」が極端化している。1時間降水量80mm以上、3時間降水量150mm以上、日降水量300mm以上といった強度の強い雨の発生頻度は、1980年頃と比べておおむね2倍に増加し、強い雨ほど増加率が高い。日降水量100mm以上・200mm以上の日数はともに増加する一方、日降水量1mm以上の日数は減少しており、「降れば極端、降らない日も増える」二極化が進んでいる。年最大日降水量にも増加傾向がみられる。さらにイベント・アトリビューション解析では、2018年7月豪雨などで地球温暖化が大雨の発生確率と強度を高めたこと、瀬戸内地域では「50年に一度」級の3日間降水量の発生確率が約3.3倍になっていたことなどが示されている[33]

3.2 将来予測(2℃/4℃シナリオ, 21世紀末)

「日本の気候変動2025」は、産業革命前比で約2℃上昇(RCP2.6)と約4℃上昇(RCP8.5)の2シナリオで予測を行っている。日本の年平均気温は今世紀末に約1.4〜4.5℃上昇し、上昇幅は全国一様ではなく、北海道など高緯度地域で大きい。猛暑日は最大で年間約18日、熱帯夜は最大約38日増加すると予測される。降水では、1時間50mm以上の短時間強雨の頻度が最大約3.0倍、年最大日降水量が最大約27%増加し、一方で雨の降らない日数も増える。4℃上昇シナリオでは、国内のすべての地域・季節で日降水量200mm以上および1時間50mm以上の大雨の頻度が増え、全国平均で20世紀末の2倍以上に、2℃上昇シナリオでも1.5倍以上になると予測される。初夏(6月)の梅雨降水帯は強まると予測されている[32]

3.3 微胞子虫角結膜炎への含意と地域別リスク予測

本症は、高温多湿の夏季に大雨・洪水で競技場が泥濘化・滞水し、屋外スポーツなどで土壌や水に曝露する状況で、環境中に V. corneae が存在すると発生しやすい[28]。これらの条件が重なるほどリスクは高まる。気象庁データによれば、このうち気象要因(高温・豪雨)は全国的に強まっており、本邦全体で発生の素地が底上げされていると考えられる。地域差を踏まえると、以下のような分布が想定される。

  • 短〜中期に相対的に高リスク:九州・沖縄・奄美(亜熱帯〜温暖湿潤、梅雨・台風・線状降水帯による豪雨が多く、海面水温の上昇も大きい)、四国・瀬戸内(高温で「50年に一度」級の豪雨確率が上昇)、近畿・東海・紀伊半島・関東の太平洋側。これらは高温多湿・豪雨・活発な屋外競技が重なる。
  • リスクの北上・拡大:温暖化の幅が高緯度で大きく、豪雨は全国で増えるため、関東・北陸・甲信・東北、さらには北海道でも「夏季の高温+豪雨」の条件を満たす機会が増え、発生の適地が経年的に北へ・東へ広がると予測される。従来「非流行」とみなされた地域でもクラスター発生の可能性が高まる。
  • 都市部の局所的リスク:大都市(東京・大阪・名古屋・福岡など)ではヒートアイランドによる高温化に加え、豪雨時の滞水が重なり、局所的にリスクが高まりうる。
日本地図。都道府県を発生リスクの相対区分で塗り分け。九州・沖縄と関東の神奈川県が濃赤(最も高い)、四国・近畿・東海・関東の他県が赤橙、北陸・甲信・山陰が橙、東北・北海道が淡黄で示されている。
図1.気候変動下における本邦の地域別発生リスク(定性的)。区分は表3に対応し、色が濃いほど相対リスクが高い。実際に集団発生が報告された九州・沖縄と関東(神奈川県)が最も高く、四国・瀬戸内・近畿・東海・関東の他地域が高い〜上昇、北陸・甲信・山陰が緩やかに上昇、東北・北海道は経年的・長期的に上昇(従来は低リスク)。都道府県単位の着色は地域区分の目安であり、実際のリスクは各地の夏季・豪雨後に集中する点に留意。
現状で相対的に高い 高い〜上昇 緩やかに上昇 経年的・長期的に上昇
表3.気候変動下における本邦の地域別発生リスクの定性的予測
地域気候トレンド(温暖化・豪雨)屋外競技曝露相対リスクの方向性
九州・沖縄・奄美高温多湿、梅雨・台風・線状降水帯で豪雨が多い、海面水温の上昇大高(通年)現状で相対的に高い/実際にクラスター報告あり
四国・瀬戸内高温化、「50年に一度」級3日降水量の確率上昇(EA解析)高い〜上昇
近畿・東海・紀伊半島(太平洋側)高温多湿、豪雨増、都市部はヒートアイランド上昇
関東短時間強雨増、大都市集中、ヒートアイランド非常に高(競技人口大)上昇(都市リスクの顕在化)/2025年に集団発生の学会報告あり
北陸・甲信豪雨増、夏季の高温化中〜高緩やかに上昇
東北高緯度ゆえ気温上昇が大きい、大雨増経年的に上昇(適地の北上)
北海道最も大きな気温上昇予測、大雨増、積雪減中(夏季中心)長期的に上昇(従来は低リスク)
予測にあたっての重要な留意点(限界) 本予測は定性的な見通しであり、次の限界がある。(1) 本邦のMKCサーベイランス体制は極めて限定的で、報告されたクラスターは数件にとどまり、全国的な発生率データが存在しないため、定量的なリスクモデル化はできない。(2) 病原体(V. corneae)の国内における環境分布・リザーバーは未解明である。(3) 報告・認識バイアス、グラウンドの状況(排水性・土・砂・天然芝・人工芝)、選手の行動など多くの交絡要因が存在する。(4) 予測は採用する排出・気候シナリオ(2℃/4℃)と、将来の防災・適応策の進展に大きく依存する。

II-4. 考察と今後の課題

これまでの報告・研究を概観すると、微胞子虫角結膜炎は「希少疾患」から「認識されるべき一般的鑑別」へと位置づけが変化しつつあり、さらに近年は、その発生が気候・気象条件と密接に関連する「気候感受性感染症」としての側面が明確になってきた[24, 28]。残された課題として以下が挙げられる。

  • サーベイランス:本邦を含め、本症の発生動向を把握する監視体制と症例定義の整備が必要である。屋外スポーツ後の集団発生の早期探知が鍵となる。
  • 環境調査:土壌・水・芝などの環境中における V. corneae の分布・存続条件と、気象要因(降雨・気温・湿度)との関係を解明する必要がある。
  • 診断・治療:迅速・高感度な診断(PCR・mNGS・非侵襲手法)の標準化と、質の高いランダム化比較試験による治療エビデンスの確立が求められる。
  • 予防・適応:豪雨後の泥濘化したグラウンドでの競技回避、洗眼・衛生指導、ゴーグル等の眼保護、グラウンドの排水・整備、コンタクトレンズの適正使用など、気候変動適応策と連動した予防啓発が重要である。
第 III 部
世界における発生予測
各国気象データと気候変動シナリオによる世界の地域・国別の発生予測。世界のリスク地図と月別リスク。

III-1. 解析の枠組み ― 発症の気象的閾値と2つの感染様式

1.1 気象的閾値

第II部(2章)で導入したとおり、長崎の2回のアウトブレイク(健常アスリート計16名、2022・2023年)を解析した研究は、アウトブレイクが「ある月において、気温23℃・湿度70%・降水量200mmという条件を満たす、もしくは上回った後に生じやすい」ことを示した[28]。著者らは、高温・高湿度・豪雨が土壌や地表水中での微胞子虫の増殖を促す可能性を指摘し、気象イベントから発症の探知までには、曝露の遅れ・潜伏期間・症例認識の段階的進行に起因する時間差があると述べている。この三条件(月平均気温≥23℃・相対湿度≥70%・月降水量≥200mm)を満たす月を「高適地月」と呼ぶ。

本レポートにおける適地判定の基準 月平均気温 ≥ 23℃ + 相対湿度 ≥ 70% + 月降水量 ≥ 200 mm
これらを満たす月の数か月後にアウトブレイクが生じやすい(時間差あり)。+ 屋外スポーツ(土壌・芝での競技)や水曝露の機会が重なる地域・時期で、現実のリスクが高まる。

1.2 2つの感染様式(地理的広がりを左右する)

これまでの報告を総合すると、伝播には大きく2つの様式があり、これが地理的な広がりの幅を決める。

  • 「濡れたグラウンド」型(wet field eye):豪雨で泥濘化した競技場の土壌・地表水を介する経路。高温・高湿度・大雨が揃う熱帯〜亜熱帯のモンスーン地域、および温帯の夏季に典型的。上記の気象的閾値が直接当てはまる。
  • 「水域」型:温泉・プール・湖沼・河川など、特定の汚染水域を介する経路(台湾の温泉・プール、イスラエルのガリラヤ湖など)[12, 13, 14]。この型は、地域の月降水量が閾値に達しなくても、暖かい汚染水域が存在すれば発生しうるため、地中海性気候など「夏は高温だが乾燥」の地域にもリスクを広げる。

III-2. 世界の気候変動トレンド(IPCC AR6の要点)

IPCC第6次評価報告書(AR6)は、強い降水(豪雨)が温暖化の進行とともに頻度・強度を増し、4℃上昇の世界では、まれな豪雨がすべての大陸・すべてのAR6地域で過去より頻繁・強烈になる(ほぼ確実)としている[34]。とくにモンスーン降水は、中〜長期的に地球規模で増加し、なかでも南アジア・東南アジア、東アジア、西アフリカで増えると予測されている[34, 35]。南アジアでは、南インド、ミャンマー、タイ、マレーシアなどで極端降水の増加が大きいと見込まれる[35]。また、湿潤な高温(湿球温度の高い蒸し暑さ)も21世紀を通じてより強く・頻繁になると評価されている。すなわち、本症の「濡れたグラウンド」型の条件である高温・多湿・豪雨は、既存の流行地で強まると同時に、その縁辺(温帯側)へ拡大する方向にある。

III-3. 世界の地域・国別 発生予測

気象的閾値の適合、屋外スポーツ・水曝露の機会、IPCC AR6の将来トレンドから、地域・国別に3区分で示す(相対的な優先順位であり、発生確率ではない)。

世界の発生リスク地図(ほぼ全球版)。米国(州別)・中国(省別)に加え、アフリカ・南米・北米(カナダ・メキシコ)・ヨーロッパ・中東・中央アジア・ロシア・オーストラリア・南アジア・日本を気候グリッドで塗り分け、各地域内でリスクが濃赤(高)〜淡黄(低)に分かれる。赤道・西アフリカ、アマゾン、南・東南アジア、インドが濃赤(高)。ヨーロッパ・カナダ・ロシア・中東・中央アジア・モンゴル・パタゴニア・サハラなど温帯・冷帯・乾燥帯は淡黄(低)で一様。南欧・地中海が橙(局所)。グリーンランド・アラスカ・ニュージーランドも評価し、いずれも淡黄(低)。陸地はほぼ全域を評価済みで、白い部分は湖沼・海域のみ。
図2.世界の発生リスク。東南アジア(国別)・中国(省別)・米国(州別)に加え、アフリカ・南米・カナダ・メキシコ・ヨーロッパ・中東・中央アジア・モンゴル・ロシア・オーストラリア・南アジア・日本を、観測気候値による気象的閾値(月平均気温≥23℃・相対湿度≥70%・月降水量≥200mm)で地域別に解像した(濃赤=高、赤橙=条件付き、淡黄=低)。高リスクは高温多湿の熱帯・亜熱帯——赤道・西アフリカ、アマゾン、南・東南アジア、インドなど——に集中する。一方、ヨーロッパ(北欧を含む)・カナダ・ロシア・中東・中央アジア・モンゴル・南米南部などの温帯・冷帯・乾燥帯は、ほぼ全域が閾値未満(低)であった。南欧・地中海のみ、夏に閾値を満たさないものの「水域型」(暖かい湖沼・河川)を根拠に予測した。実際のリスクは各地域内の湿潤域・季節に集中する。
高(既流行・適地/閾値充足) 拡大・要警戒/条件付き 局所・将来上昇(水域型など) 低(閾値下:地域解像した国の該当地域)
表4.世界の地域・国別 発生リスクの定性的予測
区分地域・国気候・気象(閾値適合の傾向)主な曝露・備考
高(既流行・適地) 南・東南・東アジアのモンスーン圏:インド、バングラデシュ、ミャンマー、タイ、ベトナム、マレーシア、インドネシア、フィリピン、スリランカ、華南(広東・海南・香港)、台湾、南日本(九州・沖縄) 夏〜雨季に閾値を多月で満たす。IPCCはこの地域でモンスーン降水の増加を予測 → 適地はさらに強化 濡れたグラウンド型が主。サッカー・ラグビー等の屋外競技が盛ん。既に症例集積・アウトブレイク報告あり
高(既流行・適地) 熱帯オセアニア:オーストラリア北部(トップエンド/ダーウィン)、パプアニューギニア、太平洋島嶼 雨季(北部は11〜4月)に高温・高湿・豪雨。ダーウィンの発生(3月)は雨季末に合致 2026年3月ダーウィンで100名超のアウトブレイク(V. corneae、豪州式フットボール)
拡大(新興・要警戒) サブサハラ・アフリカのモンスーン帯:西アフリカ(ナイジェリア、ガーナ等)、中部アフリカ(コンゴ盆地、カメルーン)、東アフリカの一部、マダガスカル沿岸 雨季(多くは6〜9月)に閾値を満たす。IPCCは西アフリカ・モンスーンの増加を予測 サッカー文化が強い一方、眼科サーベイランスが弱く、過小認識の可能性が高い
拡大(新興・要警戒) 熱帯ラテンアメリカ・カリブ:中米(雨季5〜10月)、カリブ海(ハリケーン期6〜11月)、コロンビア・ベネズエラ・アマゾン・沿岸ブラジル(南米モンスーン) 雨季に高温多湿・豪雨。南米モンスーン域は最高気温の上昇が速い サッカー文化が強い。水域型(河川・湖沼)の併存にも注意
拡大(新興・要警戒) 温帯東アジアの夏季:華中(長江流域)、韓国(梅雨「チャンマ」6〜7月)、本州中部以北(日本) 夏季に閾値を満たす機会が温暖化で増加。日本では九州以外(本州・四国等)にも拡大の兆し 濡れたグラウンド型。日本ではサッカーに加えラグビー・ゴルフでも症例
局所・将来上昇 地中海・温帯の暖水域:イスラエル(ガリラヤ湖)、南欧(イタリア・ギリシャ・スペイン・トルコ・バルカン)の湖沼・河川・貯水池 夏は高温だが乾燥のため降水閾値は満たしにくい。水域型が主体 イスラエルで2022〜2024年に多年アウトブレイク。暖かい淡水のレクリエーション利用が鍵
局所・将来上昇 温帯ヨーロッパ(中・西欧、英国)、温帯北米内陸(中西部・北東部) 夏季は温暖化+短時間強雨が増えるが、月平均で閾値に達することは多くない 豪雨イベント直後の競技場や暖水域で局所的に発生しうる。温暖化とともにリスク上昇

III-4. 発生の季節性(月別リスクカレンダー)

主要地域について、気象的閾値(23℃・70%・200mm)[28]と既知の季節性に基づく相対的な発生リスクを月別に示した。北半球の地域は夏〜雨季(概ね6〜9月)に高まり、南半球の豪州北部(★)は約半年ずれて1〜3月にピークを迎える。気象条件と発症にはラグがあるため、実際の症例は各ピーク月の数週間後に顕在化しうる。

主要地域の月別発生リスクを示すヒートマップ。日本(九州・沖縄)・中国華南・南・東南アジア・アフリカ西中部・米国南東部などの北半球地域は概ね5〜9月にピーク(濃赤・●印)を示す。南半球の南米アマゾンは11〜5月、豪州北部は1〜3月にピークを示す。
図3.主要地域の月別発生リスク(相対値)。●印はピーク月(気象的閾値を満たす月)。★は南半球(季節が北半球と逆)。色が濃いほど高リスク。着色は気象的閾値と既知の季節性に基づく定性的目安である。
低・オフ ピーク

III-5. ダーウィン(豪)アウトブレイクの位置づけ

2026年3月のダーウィンでの集団発生は、本レポートの枠組みと整合的である[31]。オーストラリア北部(トップエンド)の雨季は概ね11〜4月で、3月は雨季の末期にあたり、高温・高湿度・豪雨という三条件が重なる時期である。豪州式フットボールという土壌・芝の屋外競技が、泥濘化した競技場での曝露を生んだと考えられる。同様の条件は、上表の「高」区分(モンスーン圏アジア、熱帯オセアニア)に共通しており、これらの地域では今後も同種のアウトブレイクが繰り返し生じる可能性がある。さらに、ダーウィンの事例は、本症が南半球の熱帯でも顕在化することを示し、気候変動下での適地の南北両方向への拡大を裏づけている。

III-6. 予測にあたっての重要な留意点(限界)

本予測の限界 ― 必ず併せてお読みください 本予測は定性的な見通しであり、次の限界がある。(1) 本邦のMKCサーベイランス体制は極めて限定的で、報告されたクラスターは数件にとどまり、全国的な発生率データが存在しないため、定量的なリスクモデル化はできない。(2) 病原体(V. corneae)の国内における環境分布・リザーバーは未解明である。(3) 報告・認識バイアス、グラウンドの状況(排水性・土・砂・天然芝・人工芝)、選手の行動など多くの交絡要因が存在する。(4) 予測は採用する排出・気候シナリオ(2℃/4℃)と、将来の防災・適応策の進展に大きく依存する。

III-7. 提言(公衆衛生・臨床)

  • 監視:高リスク地域・高リスク期(とくに豪雨イベント後4〜8週間)に、屋外スポーツ集団での角結膜炎クラスターを早期に探知する体制を整える。培養陰性で通常治療に反応しない角結膜炎では本症を鑑別に加える。
  • 環境調査:競技場の土壌・地表水、レクリエーション用の暖水域(湖沼・温泉・プール)における V. corneae の存在と気象要因との関係を、流行地・新興地双方で調査する。
  • 予防・適応:豪雨後の泥濘化したグラウンドでの競技回避、競技後の洗眼・衛生、ゴーグル等の眼保護、競技場の排水改善、プール・温泉の適切な消毒、コンタクトレンズの適正使用を、気候変動適応策と連動して周知する。
  • 啓発:「wet field eye(濡れたグラウンドの眼の感染症)」のような平易な呼称を活用し、選手・指導者・一般・臨床医の認知を高める。

III-8. 結論

微胞子虫角結膜炎は、かつてはAIDS患者を中心とする希少な日和見感染症とみなされていたが、2000年代以降は免疫正常者における角結膜炎の原因としてアジアを中心に報告が急増し、その発生が高温多雨・豪雨と強く関連することが定量的に示されてきた。本邦では2022年・2023年に長崎で2回のアウトブレイクが報告され、患者の角膜検体と競技場の土壌から同一の Vittaforma corneae が検出されて、環境リザーバーとヒト感染の直接的関連が示された[27, 28]。気象庁データによれば、日本では気温の上昇と豪雨の頻度・強度の増加が観測・予測されており、本症の発生素地は全国的に底上げされつつある。地域別には、九州・沖縄・四国・瀬戸内・東海など高温多湿で豪雨の多い地域で相対的にリスクが高く、温暖化の進行とともに関東・東北・北海道へと適地が拡大すると見込まれる。ただしこれは限定的なデータに基づく定性的予測であり、サーベイランスと環境調査の強化が不可欠である。眼科診療においては、培養陰性で通常治療に反応しない角結膜炎・角膜炎、とりわけ豪雨後の屋外スポーツ歴を有する例で、本症を鑑別に含める姿勢が求められる。

国際的にみても、長崎の研究が示した気象的閾値(月平均気温23℃・相対湿度70%・月降水量200mm)[28]を手がかりに世界・米国の発生適地を見通すと、南・東南アジアのモンスーン圏や熱帯オセアニアは既に高リスクであり、米国では南東部・湾岸が最重点となる。気候変動はこの閾値を満たす地域と時期をともに拡大させ、従来「非流行」とされた温帯地域へも発生を広げると見込まれる。本症は、眼科の一疾患であると同時に、気候変動下で監視すべき「気候感受性感染症」として、分野横断的な注視に値する。

III-9. 参考文献

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    34. IPCC. Climate Change 2021: The Physical Science Basis(AR6 WGI). Summary for Policymakers(B.2.4 豪雨の激化、B.3.3 モンスーン降水の増加:南・東南アジア、東アジア、西アフリカ);Chapter 11;地域ファクトシート(アジア).
    35. IPCC AR6 WGII Chapter 10(Asia):モンスーン・アジアにおける極端降水・洪水の頻発と将来増加。

    本報告書は公表された学術文献および公的データに基づく要約であり、地域別予測は前提に依存する定性的な見通しである。診断・治療や防災・政策上の意思決定にあたっては、最新の一次資料、専門医、所管機関の情報を参照されたい。本書は医学的・行政的助言を構成するものではない。

主な略語

MKC
微胞子虫角結膜炎(Microsporidial keratoconjunctivitis)
MSK
微胞子虫性角膜実質炎(Microsporidial stromal keratitis)
V. corneae
Vittaforma corneae(眼感染症の原因となる微胞子虫)
IVCM
生体共焦点顕微鏡(in vivo confocal microscopy)
AS-OCT
前眼部光干渉断層計(anterior segment OCT)
PCR
ポリメラーゼ連鎖反応
mNGS
メタゲノム次世代シークエンス
TEM
透過型電子顕微鏡
PHMB
ポリヘキサメチレンビグアナイド
PKP
全層角膜移植
ART / HAART
抗レトロウイルス療法
IPCC AR6
気候変動に関する政府間パネル 第6次評価報告書
RCP
代表的濃度経路(排出シナリオ)
EA
イベント・アトリビューション(極端現象への温暖化寄与解析)
JMA
気象庁(Japan Meteorological Agency)

図表一覧

  • 表1.眼感染に関与する主な微胞子虫(第I部 I-2章)
  • 表2.主な診断手法とその特徴(第I部 I-6章)
  • 表3.気候変動下における本邦の地域別発生リスクの定性的予測(第II部 II-3章)
  • 表4.世界の地域・国別 発生リスクの定性的予測(第III部 III-3章)
  • 図1.気候変動下における本邦の地域別発生リスク(第II部 II-3章)
  • 図2.世界の発生リスク(第III部 III-3章)
  • 図3.主要地域の月別発生リスク(第III部 III-4章)